バンコクへは24歳の時から20年間、年1回渡航していた。
この旅行は、会社の上司から「旅行行くか?」と誘われて、
国内の慰安旅行と思いきや、海外への旅行であった。
面白そうだ!行ってみよう!と
単純・短絡的な理由で、行くようになった。
その上司は、現在も交流がありますが、上司というよりは「うちのボス」
「うちのボス」は30年?35年?毎年のように海外旅行に行っているとの事。
適度な金額で、面白い旅行を計画してくれることが素晴らしい!
旅行当日しおりなどの資料を渡された。
当時は半透明のB5サイズくらいの半透明ケースの中にしおり、旅行お土産事前申込書、ワッペン(いろいろな旅行者がいるのでツアーで離れてもわかりやすいように、2センチ角のロゴ入りワッペン(シール)を胸に貼らされていた)をもらった。
だが、その中に、銀行の封筒も入っていて、現金数万円分が入っていた。
「多めに払った旅行代金を返してもらえるんだ。そのまま旅行に使うと言っていたのに・・・」
と思ったら、
「うちのボス」から、
「旅行代金の余りは、全員のプール金で、食事などの飲食、イベントなど全員で遊ぶ事は全て、プール金から支払うようにする。」
・・・んっ?
おれ、番頭?
まだ、24歳のペーペーに。

私の会計、ざるなんですが・・・大丈夫ですか?

バーベキューくらいの目じゃなければ、いい!

そこまでの大きさの網目ではありませんので承ります。
そこからこの24年間の番頭人生が始まりました。
スーツケースを買うのも初めて!
「世界の歩きかた」や「るるぶ」を買うのも初めて!
その当時は、ハードケースが良いと言われ、35リットルくらいのケースを買いましたが、これが失敗。
5日の旅行だと荷物が入らない。
「2~4日の旅行用」と書いてあったため、まぁこんなものでよいか。と、
安直に考えてしまった。
ビジネスでの旅行であれば、このくらいでよいのかもしれないが、
遊びの旅行。
お菓子を買いたい。お土産も買いたい。おもしろTシャツも買いたい。
入りきらんのですわ。
最初の2~3年はどうやって荷物を少なくするかに、重点を置き旅行の身支度をしていました。
考えに考えた方法は、
「服をたたまない」
これが、一番入りました。(私的にはです。)
広げたスーツケースに、広げたTシャツ、その上に伸ばしたままのジーンズ・・・
これをひたすら、重ね、端を体裁よく直し入れていく。
厚みがないところに、小物を押し込め完成。
5日くらいであればこれで、大体が入りました。
私的には、これにリュック。
リュックには、機内持ち込み品や預かった現金などを入れていました。
ですが、このあともっと物を減らさないといけなくなったので、違う考えに至りますがそれは、また書き加えます。
途中をすっ飛ばして、当時、印象に一番残った事は
20年前「プリンスパレスホテル」が初めて宿泊したホテルです。
Bobae Tower, BoBae Tower Khlong Maha Nak, Pom Prap Sattru Phai, Bangkok 10100
現在調べてみると、ボーベータワー (Bo Bae Tower)とも書いてありました。
今も昔も周りには衣料品の卸問屋があり、タイパンツなどの服、子供服様々な衣料品が売られていました。
バンコクの旧市街、ポン・プラップ・サトルー・ファイ区(Pom Prap Sattru Phai)に位置して、ボーベー市場のすぐ近くです。
4年くらいはここをホームとして渡航していましたが、徐々に宿泊ホテルの一覧から無くなっていきました。
今を思うと、徐々に日本人の宿泊者が少なくなってきたこと。
中国の方、中央アジアの方、中東の方、様々な方が泊り始め、朝食も日本人の口に合うものから、中華がゆなどの料理が増えていったように思えます。
このホテルの面白い点は、各階の廊下には大きな窓がありそこから外を見渡すと、曇ってはいないのですが、雲がかっているバンコク市内が眺めれますが・・・
その窓から廊下部分は5センチくらい隙間が空いており数階下の床までしっかり見える。
初めてそれを見つけたときには、少し足がすくみました。
もし落ちたら?もし地震が起きたら?とも思いましたが、
建築当時はこんな隙間はなかったと思いますが徐々に広がっていったと考えます。
いや、考えたいです。
日本で、こんな隙間があったら、欠陥住宅だ!と大変な事になりますが、
「地震がない国」というか、日本に比べると全くないと言い切れる地域。
今は、直っているんでしょうね・・・
徒然につづっていきます。
ではまた。

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